はじめに

 当Webサイトにおける「カムイノミ」についての文責はすべて筆者(トゥッカンタㇺ:川上将史)に帰属する。
 内容は、筆者が体験したこと、教えられたことをもとに執筆している。主に、北海道南部の日高沙流川流域、身内、各地の識者・知人との交流で得た知識等で以て構成されている。独自の解釈や多少の齟齬と感じられる内容が包含されている可能性があるが、あくまで一個人としての経験を記すものであり、学術的な論文等の類ではない。その点を加味した上でご覧いただきたい。

カムイノミとは Kamuynomi

カムイノミの様子
カムイノミの様子

 「カムイノミ」とは「カムイ」に対し「ノミ(~に祈る)」を行う、アイヌが生活する上で重要視している儀礼である。そしてアイヌは多神教(アニミズム)である。ここでいう「カムイ」はよく「神」と訳されることが多いが、「神」という呼称は単一神の宗教(例:キリスト教、イスラム教)を想起させるため、ここでは「カムイ」は「カムイ」と記す。アイヌの信仰に鑑み、カムイを表現するとしたら、「人間の能力以上の力を持っている存在すべてが『カムイ』」と言えるだろう。よく「神道(しんとう)」と同一視されることがある。この点は、近からず遠からずで、似て非なるものである。だが、「多神教」のくくりとしては同列の扱いで問題ないと考えている。

カムイノミの対象

 アイヌが主にカムイとして祈っている対象は以下のとおりである。

元素:火、水、風、土など
生物:哺乳類、四足獣、海棲獣、魚類、節足動物、昆虫など
自然:草類、樹木類、河川、沢、湖沼、海、雷、津波、山津波、地震、竜巻、岩石、山脈、流行病、温泉など
物質:刀剣類、衣類、装飾類、狩猟道具、炊事器具、家屋等の建造物など

 地域によっては、太陽や月などの天体に祈るという事もあるが、あまりに力が強いカムイに対しては、オリパㇰ(遠慮)して祈らない地域もある。また、人間に怪我をさせたり、命を奪うなどの行為を行う性質の悪いものであってもカムイとして扱うということは、併せて承知いただきたい点である。  

なぜカムイノミをするのか

 アイヌ、人間はなぜ祈るのか。アイヌは生活していくうえで、カムイからの加護を得なければ生きていけないため、事あるごとに祈りを行う。日々の生活の中に祈りを織り込んでいるが、お土産や珍しい物をもらったとき、出かけるとき、クマやシマフクロウなどのカムイを客として迎え入れ、カムイモシㇼに送り出すとき、結婚式、先祖供養、カムイの監督不行届に対する抗議、舟や建築を行う前の祈り、その年で初めて舟を水辺に下ろす際の祈り、新年の祈り、中毒した際に数多のカムイへお使いを頼む、落馬したものを蘇生させるための祈り、名前を命名する際の祈り、豊漁祈願、それに伴う感謝など、祈りの種類をあげると枚挙に暇がない。
 祈りは、カムイノミの中で欠かすことのできない重要な要素だ。アペフチカムイ(火の神)がどの地域でも尊ばれ、どの儀式でもまずアペフチにイノミ(祈り)し、他のカムイへ祈るという事が通常の流れである。

「アトㇺテイタㇰ」と「ヤヤンイタㇰ」

 カムイノミに用いる言葉はアトㇺテイタㇰ(装飾された雅な言葉)で、普段から用いている「ヤヤンイタㇰ(普通の言葉)」とは異なる。そして、五音節ごとに区切り、朗々と己の願望を唱える。のどを震わせながら抑揚を伴わせ「節(ふし)」をつけて祝詞を唱える。これを「サコイェ(節付きで言う)」という。この行為は、言葉に力を持たせる、巫力を持たせるということになる。祈りの節をつけるか否かという事は個人によってさまざまだ。なぜ節をつけるのか。それは、カムイノミは節をつけることで、カムイが願いを聞き入れてくれる確率が上がる。もちろん、ルパイェイタㇰ(節を持たないサッと話す言葉)でもアトㇺテイタㇰを用いて発することで、カムイに対して有効であることは言うまでもないが、節をつける方が祈りが通じやすい、願いが叶いやすいと思って戴ければ結構だろう。

祈りの際の声量

 声の大きさもまた重要である。地域によって声を大きく祈る、小さく祈ることと、様々だ。稀に、心で想うことが祈りという方もいる。声を大きく唱える際の理屈は「声が小さいとカムイに聞こえない。すると、こちらからの要望を聞いてもらえなくなる」というもの。対して、小さい声で祈る方の理屈は「大きな声で祈ると、聞かれたくないカムイやアイヌにまでこちらの願いが聞かれてしまう」というものだ。どちらも一理ある。大まかに地域ごとで対応しているが、地域の中でも他所から越してきた者や、家庭、一族により祈りのやり方が違うなど、千差万別であるため、どれが良い悪いと言えないのが祈りの作法ではないだろうか。伝えられたことを如何に理解し、自分がどのような立場で振る舞わなければいけないかも加味した上で実践すべきである。

供物としての「イナウ」「トノト」

イナウ
イナウ
イナウ
イナウ

 また、この祈りを行う事でカムイに対し供物を捧げる。供物は「イナウ(木幣)」「トノト(酒)」である。双方、カムイがもらうと、とても喜ぶもので、祈り供物を捧げ、願い等を聴いてもらう、力を持ったカムイに対し口をきいてもらう、という事になる。カムイの視点で考えると、「自分たちで作り出すことができないイナウやトノトをいただける、その代わりにアイヌの願いを叶えよう」、というものである。イナウは地域によって違いがあるが、主に、柳(バッコヤナギ)を削り、作成する。柳はカムイモシㇼに行くと白銀になると考えられている。ミズキで作られたイナウは黄金になると信じられている。イナウをたくさん所有していると、カムイとしての位が高まり、周りのカムイウタㇻから褒めたたえられ、威厳を備えられるというものだ。トノトは、受け取ったカムイがその酒を糧に酒宴を開き、周囲のカムイウタㇻを招へいし、宴を開催できるほどの力がある、という事を誇示できるため、結果として周囲のカムイから尊敬のまなざしを向けられ、カムイとしての威厳を保ち、またこれまで以上の羨望を受けるという事だ。

祭具「イクパスイ」「トゥキ」

トゥキとイクパスイ
トゥキとイクパスイ
エトゥヌプ
エトゥヌプ

 祈りの際に最も使用される頻度が高い祭具として、「イクパスイ(奉酒箸、 献酒箸)」「トゥキ(酒杯)」である。この祭具は、人間の祈りを増強してくれる効果がある。イクパスイは人間が発する言葉を補強し、さらに雄弁に発しカムイに届けてくれると信じられている。いうなれば、「自動翻訳・補正機能付きの携帯電話」とでも表現できるような祭具である。沙流川地方におけるイクパスイはどれも裏面の先端に舌状の刻みが彫ってある。これを「パスイパルンペ」あるいは「パルンペ」と呼ぶ。パルンペはイクパスイのラマッ(魂)と考えられており、これがないとイクパスイとして機能しないとまで言われている。その一方、北海道南部以外の地域で、パルンペを彫らない地域が少なくない。トゥキは元々本州からの商場知行制(あきないばちぎょうせい)等の物々交換で仕入れた漆器である。主に、茶道で用いられる茶器として、「トゥキヌㇺ(椀:わん)」と「オユㇱペ または タカイサラ(天目台:てんもくだい)」部分が分離する作りとなっているのが一般的だ。このトゥキヌㇺの部分にトノトを注ぎ、イクパスイの先端にトノトを付け、祈る対象に対してチッカ(雫を滴らせる)所作を行う。カムイへ祈る際に、「この酒一滴が神の国へ到着する際、六つの酒樽(さかだる)を満たすことでしょう」と唱えると、大量の酒がカムイモシㇼに到着することになり、祈られたカムイは、送られた酒を周囲の友人や賓客と供することで大いに満足し、アイヌに多大なる加護をはかるという事になっている。

カムイノミ中の禁忌

 アイヌにも「ハレ」「ケガレ」に近い思想が根付いている。カムイノミはいわゆる「ハレ」に相当する。対して、葬儀や流血を伴う生理等は「ケガレ(ケ)」として捉えられる。ここでは簡単に禁忌とされるカムイノミ中の行為について触れておく。特に、女性に対して禁忌が多いため、参列を予定されている方はタブー部分だけでも読まれることをお勧めする。

1. 儀礼中は余計な会話をしてはいけない

 どの信仰にも言えることだが、祭司が許さない限り、余計なことを話してはいけないとされている。火の神は声を聴きたい、祈りを上げてほしい男を祭司として呼ぶ。その祭司がカムイノミを執り仕切るが、発言を許された者、例えばアイヌ文化を解説する司会者、アイヌ文化を初心者に教える熟練者そして、トゥキを受け取り祈りを唱える場合に限る。

2. 儀礼中、立ち入ってはいけない場所

屋内の場合
東側の神窓と囲炉裏の間は、「カムイの通り道」である。囲炉裏が火の神の寝床とも住処ともいわれている場所で神聖な場所である。囲炉裏から向かって東側の窓は、カムイが出入りする窓である。言い換えれば、カムイは東側の窓からしか出入りできない。なので、カムイノミ中に窓と囲炉裏の間を横断は基本出来ない。これは老若男女問わず、禁忌とされる。例外は、エトゥヌㇷ゚(片口)でお酒を注いで回る女性、使用済みの祭具(トゥキ(酒杯)、イクパスイ(奉酒箸)、チタㇻペ(ござ)等)を下げる役の男性は、窓と囲炉裏の間を移動することができる。

屋外の場合
チセ(伝統的家屋)の内部でカムイノミを行う際、「南側」についている二か所の窓から内部を覗き見ることは許されている。だが、「東側」の窓からカムイノミ中に内部を覗き見ることは、避けたほうが良い。カムイノミ中にここから覗いて良いとされるのは「カムイ」だけである。イオマンテ時にイリマキリ(皮剥ぎ用小刀)によって肉体から毛皮をはがし、毛皮をたたんで神窓から出し入れする際は男も窓を除くのはやむなしだが、特段理由もなく、ただ内部が見たいからと窓から覗くのはご法度だと覚えていただけたら幸いである。

屋外の祭壇
アイヌの家屋の東側には、ヌササン(祭壇)が設置されていることが多い。その家々で大きな祭りを行う際は、必ず新しくイナウを削り、各家で祭っているカムイウタㇻ(神々)に対して、祭ってあげなければならない。この際に気を付けることは、「ヌササンの後ろに立ち入らないこと」だ。なぜなら、各家庭で役目を終えた家裁道具や古いイナウ等は、ヌササンの後ろに納めて、カムイモシㇼに送り返さなければならない。いうなれば、「あちら側」につながっているのだ。ここに生きた人間が簡単に出入りするのは危険を伴うということをご理解頂けるだろう。

3. 触れてはいけないもの

 男性は基本、触れてはいけないものはないが、女性は喪中や生理中等に関わらず、「イナウ」に触れてはいけない。地域によっては、先祖供養を行う際、一人一本チェホㇿカケㇷ゚イナウ(逆さ削りのイナウ)を与えられ、先祖に与えるという地域もある。他には、生理が上がった女性がシントコカㇻカㇻ(シントコの蓋を取り、酒をエトゥヌㇷ゚に入れる際の段取り)で、シントコを縛っていたイナウを首飾りのように自分の首にかける、という場面があるが、この時は女性でもイナウを触ってよいとなっている。だが、上記は例外のようなもので、そのカムイノミを統べる祭司が「やってはいけない」と判断したのなら、祭司に従うことが無難だろう。

4. 生理中の女性は参列を避けたほうが良い。

 火の神(アペフチカムイ)を中心にカムイノミは執り行われるが、火の神は「女性の血」を嫌うという。もし儀礼中に月の物がある際は遠慮して参列を傍観する方が良いだろう。火の神は基本、若い女性に対してシビアに捉えていると考えたほうが良いだろう。もしそのような状況で参列した際、火が変なはじけ方をして、ゴザや衣服を焦がした、カムイノミ中に具合が悪くなる人間が続出した、等の話が聴かれるため、避けられた方が良いだろう。

5. 火の方向に向けて足を開かない。

 アイヌ男性の正座は「あぐら」だが、女性は日本人と同じく「正座(両ひざそろえ)」「片足立て座り」「両足立て座り」と、3つも「正座」の仕方がある。もし女性が火に向けて足を開くと、火の神は女性の女陰を非常に嫌がるので、火の神の機嫌を損ねてしまうようだ。また、足が痛く正座等をできない方は「横座り」も可能だが、つま先を向ける方角は、下座に向けるようにと言われている。

6. 喪中である場合カムイノミに参列することは遠慮する

 もし喪中の人間が参列してしまうのは良くないとされている。カムイノミが無事に終わらない、不幸が連鎖し、カムイノミに参加した方に何か良くないことが起こってしまう、カムイノミがうまくいかなければその責任はすべて祭司がかぶる、という言い伝えもある。地域によって、亡くなった方との関係性により、1年から3年間、喪に服すことが求められる地域がある。そのなかでも、関連性が希薄、親等的に離れているという場合であれば、本人の気持ち次第で参列も可能という地域がある。身内に不幸が起きてしまったが、どうしても出たい、ということであれば、祭司に確認するのが良いかもしれないが、無理強いはお勧めできない。だが、不幸があったことを祭司に黙って参列するのはもっとよくないので、カムイの対して敬う、尊ぶ気持ちがあれば、祭司や祭司に近しい人に話をしておく方が無難だろう。

7. カムイノミ前日等の性交

 これはどのカムイノミにも言われていることだが、カムイノミの前日は男女問わず、性交は避けるべきだと言われている。理由としては、そのような行為をした後に火の神の前に出ると、嫉妬して良からぬことが怒ってしまうというものだ。また、昔日ある地方で行われたイヨマンテ(熊の霊送りの儀礼)において、3歳のオスグマをカムイモシㇼ(神の国)に送ろうとした際、オスグマが檻から出ず、そこで「男女の行為のまねごと」をずっと行っている。そうすると、イヨマンテどころではなくなった。その時の祭司は「もしや」と思い、参列者全員を集め、「正直に話してほしい。昨晩ウコチュー(性交)をした者はいるか」と問いかけた。すると、若い男女が恥ずかしさと、なぜ判明してしまったのかという恐ろしさとで顔が引きつりながら名乗り出たという。このように、どのカムイノミでもなんらかの中断せざるを得ない物事が生じてしまうため、人が見ていないからと言って、そのような事をしてはいけないとされている。「カムイ」はいつも人間のことを見ているのだ、という一つの例である。

アイヌとカムイの関連性

ヌサ
ヌサ
シントコ
シントコ

 このように、アイヌ(人間)とカムイ(神)は、相互扶助の関連性があり、持ちつ持たれつの関係性だ。「両者が強く依存しあっている」ということ、アイヌの信仰は多神教(アニミズム)だという事がお判りいただけるであろう。地方により祈り方の違いはあれど、アイヌのカムイノミは、今後ますますアイヌの血を引きアイヌとしてのアイデンティティを持つものを中心とし、祈りが続いていくことだろう。それは、アイヌが存在するとそれに呼応するカムイが祈って欲しいがために、そのように仕向けるからだ。これはすなわち「必然」であり、「自然の摂理」である。

おわりに

 アイヌの諺に次のようなものがある。

「カントオロワ ヤクサクノ アランケプシネプカ イサム」
(天から役目なしに降ろされたものは一つもない)

 この諺が示す通り、カムイノミもアイヌが担う「役目」の一つであることは至極当然のことである。
 アイヌ民族は「この世に生まれてきた者は何かしらの役目を持ってこの世に下ろされている」と考えている。自分にしかできないことは何なのか、このことを模索し、懸命に取り組んでみる。一度しかない人生、ただ漠然と生きるのではなく、悔いを残すことなく自分の子孫や大事な方たちが自分の死後に思い出してくれるような生き方を見つけて一生懸命取り組んでみるのも良いかもしれない。
少しでも多くの方がアイヌ文化を理解してくれることを願い、「カムイノミとは」を記す。

アイヌ語名:トゥッカンタム
日本語名:川上将史